Take it easy.

えすあいあー



立ち直れなくて何が悪い

いろいろ考えながら日々過ごしている。

中には答えの無いような悩みレベルの考えもある。
悩みようがないだろうと頭ではわかっていても、湧き水のように考えが浮かんでしまう。
答えが見つかるわけではないのに堂々頭を巡ってしまう。

  • ああすればよかった
  • こうすればよかった
  • なんでこんなことになったんだろう
  • もしあの時○○をしていたらどうなっていただろう

いろんな後悔があるし、前提を変えていろいろシミュレーションしたところでやっぱり分かるはずもない。
そんなもん分かるんだったらその時嫁さんが助かるような選択や行動をしていたと思う。
自分は神ではない。でも考えてしまう。


そんないろんなことを考えている中で1つだけ、まだマシなのかもしれないと思うことがある。
※良かったとは言いたくないので


それは、遺されたのが自分だったことだ。

理由は以下。

理由1_妻の気持ち


1つは、自分の場合妻はこれに耐えられなかったのではないかと思ったから。

以前、夫婦間で「どちらかが先に死んだらどうするか」
という話をしたことがある。

※どうするか = 生きるか死ぬか的なニュアンス


自分は
「正直どうなるか分からない」
としか言えなかった。
伴侶を亡くした時のショック、自死を選ぶ時の心境・・とにかく具体的なイメージに欠けていた。
かといって明るく生きていけはしないだろうと思っていた。
目の前の妻とずっと生きていくんだと思ってたし。

とにかく当たり前のものが、当たり前のことが無くなるってことが想像できなかった。

30年後に聞かれていれば少し答えが変わっていたのかもしれない。



だが、妻は
「後を追うと思う」と言った。
違う人と結婚しようと思わないし、人生に未練がないだろうから一人で生きていこうとは恐らく思えないからだと。

その時はそんなこと言ってほしくないとしか思えなかった。

けど今はその時の気持ちが分かる。


理由2_家族との関係


理由の2つ目は妻の家族だ。

妻の両親は、入院後から妻を自分の所有物とみなすような言動が目立っていた。
親から見たら、妻は自分の子供だ。
そりゃ可愛いだろうしアドバイス等する気持ちも分かるし、どうぞどうぞと思っていた。

ただ、そうじゃなかった。

  • 「携帯電話の中身を友人とのメール含め全部よこせ、親だから見る権利がある」
  • 「もし助かっても娘に後遺症が残ったら私たちが面倒を見る。お前は次の人生を歩め」

 (しかもこれを入院当初の症状すら分かっていない状態で言った)

  • 「もともと手元に置いて自分の面倒を見るために作った」

・・とキリがない。

妻や俺の気持ちは無視だ。毒親っぷりが半端ねぇわ。
妻も1個の人格を持った人間だということを理解して、意思を尊重してほしかったがそれがない。
全部、主語が「自分は」なのだ。


親に携帯の中身見られたい娘なんかいるんだろうか。
極めて少数派だと思うんだけど。俺は絶対嫌だわ。
しかも理由が「娘が何を考えていたのかを知りたい」って。


↓一応検索してみた。
死んでもイヤっ! 女子が「親に見られたくないもの」・6つ(2017年1月2日)|ウーマンエキサイト(1/3)



そういう故人の想いは無視する人達だった。
また、妻が危篤状態になったら保険金の請求書類を渡してきたこともあった。
最悪なんてもんじゃない。
なんでそんなことを今するんだろうと。親だよねあなたたち?と。


もし俺が先に亡くなっていたらどうなっていたか?容易に予想がつく。

妻の気持ちは無視して今私が住んでいる家は早々に引き払わせて、
自分たちの手元に置いて、
「さっさと忘れろ」
「いつまでも泣くな」
「お前には次の人生がある(早く孫見せろ)」
あたりの言葉を投げかけていただろう。


そうなると「後を追う」等と言っていた妻は耐えられなかったと思う。


理由3_純粋にきつい

単純に妻に同じ思いをさせたくない。
書いてて思ったけどきついなんてもんじゃない。
理由1とかぶってるわ。

おわりに

次の人生を歩んでほしいという他人の願い自体は否定しない。
自分も亡くなっていたらそう思っていたと思う。

ただ、それは当人が自分自身気持ちの整理をつけた上で、自分で決断するものだと思っている。
誰かに言われてやるものでもないし、正直その言葉自体プレッシャーや怒りにしかならない。
自分も言われたが、「うるせぇ黙れ」としか思えなかったし。


周りに「立ち直るのを見守る」というスタンスの人間がいなくて、
「自分の気持ちばかり押し付ける」人間しかいなかった場合、
自分の気持ちを整理することができないんですよ。
ただでさえいろいろ考えや後悔がある中なのに向きたい方向を向かそうとしてくれないってのはきついんだよ。
みんな思いがあるだろうけど分かってほしい。


自分は親や友人に恵まれていた。
話を否定せずに聞いてくれる人がいて、その上で励ましの言葉をかけてくれた。
自分の思いを尊重してくれた。
だからまだなんとか生きてるし、そのことに気付かせてくれたこと、含めて助けてくれた周りの人間に対して感謝しないといけないと思った。
自分もそういう人間になりたいと思った。


そうされるといつまでも落ち込んでいてはいけないとも思うんだけどね。
でもやっぱりまだ無理。これからどうするかなんて分からないし。
前向きにとか言われてもまだ涙出るし。何もしたくない時だってあるし。
別に死んでもいいやと思うことだってある。


だから今は嫁さんの供養をしながら、淡々と時間をかけていくことしかできないんだと思っている。
いきなり立ち上がれるわけないだろ。