今日仏具を買いに行った。
なかなかこの年齢で仏具を買うこともないんじゃないだろうか。
お店の人も気持ちびっくりしてたような気がする。
お香だとかお鈴だとか、嫁さんこういうのが好きだろうなと思いながら選んだ。
選んでも本人に評価してもらえないもの買うなんて初めてかもしれない。嫌だなぁ。
こういう準備を進めるたびにやっぱり実感する。
嫁さんはもういないんだと。
家に帰って「ただいま」と言っても「おかえり」と返ってくることはない。
朝目を覚まして横を見てもいるはずもない。
朝ごはんができているってこともない。
一人であることを徹底的に突き付けられている。
一人暮らし時代に戻っただけだと頭で自分に言い聞かせてはいるが、どうしても違和感がぬぐえない。
別に自分だけが辛い思いしてるわけではないはずだと思い、気持ちの整理のために他の死別した方のブログなんかも読み漁ってみた。
・・ただ、あれだ。さすがにここまで若い年齢で死別経験のある方はいなかった。
結婚してからの年数が浅い分傷は浅いのかもしれないとも思ったが、正直なところ傷の深さなんて分かるはずもない。
確実に言えることは、これまで経験した死別の中でも妻を亡くすということは別格だということと、過去体験した何よりもきついということ。
過去に祖父を亡くしたことはあるが、泣いたのは葬儀の時くらいで、あとはもう会えないという寂しさはあったが生活が別だったせいか比較的早めに、亡くなった事実を受け入れることができていたように思う。
ただ嫁さんは別だ。
生活は一緒だし、休日も一緒、苦しみも楽しみも分かち合い、何かする時には話あったり、「2人で将来を築く」という前提に必要不可欠な人間だった。
だからこそ亡くなった分、これまで築いてきたものが崩れたような、自分の体の一部が欠けたような、バランスを崩したそういう違和感を感じているんだと思う。
正直なところ、亡くなった後はもっと泣き崩れて1歩も動けないものかと思っていたがそうでもなかった。(今のところは)
普段滅多に泣くことが無い分、反動というかそういう時に弱いんじゃないか自分ということを危惧していたことと、
病状が悪化してから亡くなるまでの期間はほぼ毎日どこかで涙を流していたからこそ、何か一気に来るものがあるんじゃないかと。
しかしながら今は落ち着いている。落ち着いている・・けど、泣きのスイッチはいろいろなところに隠れていることが分かった。
意図してなくてもいつもの道を歩いていて少し振り返って風景を見ただけで涙が込み上げて来たり、
何気なく聞いている音楽の歌詞を少し意識しただけで涙が込み上げてきたり、
りんご切ってるだけで涙が込み上げて来たりする。
そういえば、「いいとこ2週間あれば気持ちの整理はつくし、男がめそめそ泣いてんじゃねぇ」なんて言う人もいた。
(これが親族だってのが遺憾の意に尽きる)
いや気持ちの整理なんてついてるわけねぇじゃん!!
大体てめぇ奥さん健在だし家事も全部嫁任せで偉そうな口利いてんじゃねぇ
人前で泣かないだけ勘弁しろバーカ
くらいの怒りを抱いたけども、まともに取り合うものでもないと悟った。
嫁を亡くした人にしか嫁を亡くした人間の気持ちは分からないと思うのですよ。
そもそも整理って何なんだろう。
少なくとも僕は一生嫁のことを忘れないと思うけど、それは整理がついていないということになるんだろうか。
なんとか自分で生活できているのならもう既に整理がついているということになるんだろうか。
今現時点では心の中に嫁をどう残しつつ、今後自分がどう歩いていくかということなのかなと今思っている。
けど、だとしたら今は気持ちの整理なんかつくわけがないと思う。
まだ先のことなんか考えていないからだ。
つーか考えられん。無理。
嫁さん亡くして1-2週間で次のこときっちり考えて歩き出そうとしてる人ってすごすぎやしませんか。
できます?んなこと分からないよね普通。俺も分からない。誰か教えてください。