Take it easy.

えすあいあー



悲しいからって泣けるわけじゃない

嫁さんが亡くなって10日が経った。

亡くなった直後から1週間くらいは葬儀やなんやかんやで家族と過ごしていた。
が、ここ3日ほどは1人での生活に早めに慣れておかないと仕事が始まってから何かあったら取り返しがつかないと思い、一人で生活してる。

生活していてどうしても違和感があり、気持ちの整理をしてみようと思う。

違和感とは何か。
それは悲しいのに泣けないということです。

生活

入院してからは当然家事含め家のすべてのことを1人でやっており、別に家事負担が変わったというわけではない。

変わったのは、

  • 病院に行けば嫁さんに会えた(意識は無かったが)けど、今はもう会えない
  • 今家事以外にも遺品の整理もやっている
  • 役所等の手続きに必要なものを探している
  • 家にお参りスペースができた

ということ。
必然的に、嫁さんが入院していた時より今の方が過去の思い出を振り返らざるを得なくなる。
そんなの悲しいじゃないか。


・・・が、泣けない。悲しいのに泣けない。
こう胸がもやもやっとしたような、何か大事なものがあるはずだけど穴が開いているような、そういう違和感は常に自分に付きまとっており、
これが自分にとっては妙なストレスになっている。だけど泣くまでいかない。

嫁さんが入院していて回復の目途が無いと言われ、葬儀まではほぼ毎日どこかで自然と涙が溢れていたのに。

こうなった理由は分からない。
もともとそんな泣くような人間ではないと自覚していたけど、一番泣いた時のことを振り返ると、
嫁さんが亡くなった日の朝に一緒に自宅まで連れて行ってもらった時だった。

亡くなった直後


入院当初はすぐに治ると思っていた。もともとの症状が微熱程度だったから。
それに、入院直後も受け答えはできており、早く帰りたいなんてことも言っていた。
後遺症などが残って車いすが必要になっても、嫁さんと2人で帰るんだと思っていた。


けど、叶わなかった。
病気の原因は分からない。症状は脳炎。何だよそれ。
なんだか分からないけど脳炎で亡くなりましたなんて未だに納得はできていない。

そんな混乱した状態ではあったが、亡くなって葬儀場に直行というのは避けてほしいとお願いしていた。
2人で帰るということは、願っていた形のものにはならなかったけど、葬儀会社の人が叶えてくれた。
霊柩車で移動するものかと思っていたけど霊柩車仕様にカスタムした車で迎えに来てくれた。


自宅前に着くと、葬儀会社の人は「少し席を外します」と言った。
気を遣ってくれたんだと思う。
その時嫁さんの顔を見たら涙が溢れて止まらなかった。
わんわん泣くわけではないけど、数分間泣いた。
近所の人の目があったので顔を伏せて泣いた。
あんな涙を流したことあったっけ。そんな風にも思った。


その後、家の中に入りたくなった。
遺体は連れて帰れないけど、魂みたいなものがあるんだとしたら、付いて来てくれるかなとかその時思っていたから。

玄関を開けてただいまと言ったけど当然返事は無い。
病院にほぼ泊まり込んでいた関係で丸2日くらい家を空けていたせいか空気が籠って少し暑かった。

部屋の真ん中に移動した時、なんか力が抜けて声を出して泣いた。
うわぁぁとか、あぁぁとか、多分そういう声だったと思う。


一緒に帰るはずだったのに、1人で帰ってきてしまった孤独感
嫁さんの帰りたいという言葉すら叶えてあげられなかった無力感
なんでもっと話を聞いてあげられなかったんだろう、なんでもっと早く検査とかできなかったのか。
仕方がないなんて思いたくない、そういう後悔もあった。未だにある。

そういうものが1人で部屋にいると一気に襲ってきた。でも1分そこそこで泣き止んだ。
「泣いていてはいけない、立ち直れ」みたいな変な考えがよぎって自然と涙が止まった。

多分この瞬間と葬儀の時が一番泣いた日だと思う。


現在


今も悲しさや喪失感は当然ある。後悔もある。
けど、どうすればよかったのか。今後(があるか分からないけど)同じことを絶対に繰り返さないために、何を間違えていたのか、
そんなことを毎日考えている。答えは未だに出ていない。
病気の原因すら分かっておらず、医師からも「仮に最初にうちに来ていたとしても同じ結果になっていたと思います」なんて言われてしまっている。
だとしたら今悩むこと自体無駄なことなんだろうか。

そういう複雑な心境を言葉でどう表現すればいいのか分からないけど、感情がストレートに表現できなくなってきているということを書き留めたかった。

月並みな言葉だと思うけど「時間が解決してくれる」ことなのかもしれない。