Take it easy.

えすあいあー



家族がウィルス性髄膜炎の疑いで危篤状態になった話

暗い話だと思うし、ありふれた話だと思う。

でも今の自分の気持ちや体験をありがままに書くことで、他の方がそれを事前により現実的な形でイメージすることができて、
それが心の備えになったり、より家族を想えるようになれればそれが何よりだと思ったんです。

自分文才無くて淡々と書いてる感じになってますがご容赦ください。文才の神はいねぇ

発端

発端は妻の発熱だった。37度台の熱が出て、風邪だろうということで病院に行き、
セオリー通りに抗生剤や発熱を抑える薬をもらった。


けれども、その後薬を飲んで1週間ほど経っても熱が下がらない。
他の病院にも行ったが、胃腸炎だとの診察。
妻も頭痛を訴えたり、ぼーっとするようになってきたが、

「熱っぽくてだるいからじゃない?また病院行くから。」

という言葉を鵜呑みにした僕は無理やり病院に連れて行くようなことをしなかった。
けれども、一向に熱が下がらない。37度台と38度台を繰り返したまま約2週間が経過した。


ある平日の朝、容態は相変わらずのままだった。

悩んだ。さすがに病院に連れて行ったほうがいいのでは?と。
けれどもまだ薬も残っているし、タクシー乗って病院行けるか?と問いかけると妻もうなずき、「わかった」と言った。

自分もどうしても外せない会議があった。まがりなりにも案件をいくつも企画し、マネジメントする立場であり影響が大きく、
会議1個外すだけで進捗が1週間単位で遅れる(というふざけた意思決定フローのせいでそういう)可能性もあったために、会社を休むという選択肢は選びづらいと考えていた。
大きなコップ1杯の水を飲ませて、枕元にペットボトル入りの水を置いて家に出た。

「仕事行ってくるよ」という問いかけに妻はうなずき、「行ってらっしゃい」と言った。

急変

でもやはり気になった。本当に1人で病院に行けているんだろうか。
そもそも10日以上も熱が引かないというのはおかしいんじゃないか。
LINEするも既読もつかないし・・最悪おぶって近所の病院にもう一度行こう。

そう思って僕は少しだけ早く会社を早退し、帰宅した。

1時間弱かけて家につくと

ベッドで弱っている妻がいた。
出かける時に置いたペットボトルの水も蓋が全く開けられていない。
寝汗をかいて呼吸も少し荒い。1人で起き上がることもできなくなっていた。

朝の判断は最悪だった。

何がマネジメントだ
企画だ
外せない会議だクソが!!
お前「行ってらっしゃい」って言った後この蒸し暑い部屋で汗かきながらずっとこの状態だったの?
なんで「行ってらっしゃい」とか言うんだよ!!

と一瞬の後悔もつかの間、すぐにもう町医者レベルでは無理だと判断し、救急隊に連絡。
やはり救急扱いでの処置となった。
この頃には問いかけに対して自分の名前は言えるが、「いつから熱が出たか?」という質問には答えられない程に認知能力も低下していた。

病院に運び込まれる頃にけいれんがあったが、救急隊の方々の処置もありすぐに収まった。
病院へ入院した時には熱も37度台に収まり、呼吸なども落ち着いていた。

CT、MR等のいろいろな検査を行ったが、原因を掴めなかった。
病院からは「精神的な病の疑い」とのこと。

この頃には妻の意識は薄く、こちらの呼びかけには問いかけるものの、自発的に起き上がったり僕の名前を呼ぶということはなかった。
嫌な予感がしつつも、妻の身の回りの世話をして「また明日来るから」と言って病院を後にした。

そんなわけあるか

とは言えどうしても外せない会議があった。
昨日とは違い入院している分、安心感はあったが、前日より早めに仕事を片付け早退し病院へ向かった。

引き続きMRやCT等を行うが、2日目には僕の頭の中は「精神的な病?それで38度も熱出るのか?そんなわけあるか」だった。
けれども医者は原因が分からないと言う。

あっという間に2日目が終わり、3日目になるまで、処置は見る限りでは一般的な輸液のみのように見えた。
(説明も一切なかった)

しかし、3日目に見慣れない医者がおり、改めてどういった病状なのか、2日目の検査結果は?等と事情を聴くと慌てだした。

「ウィルス性髄膜炎の疑いがあります。」

は?それは初日に検査したんじゃないの?

聞くに細菌のみ検査し、ウィルスの検査はまだ。
髄膜炎に対しては一切の処置を行っていなかったと言う。

ようやく3日目から抗ウィルス薬が点滴投与され、カテーテルも始まった。
色も赤っぽくて濃い尿が1.1Lも排出されていた。

医者は言う。
「当院ではこれ以上の検査と処置は難しく、転院頂くことになります。」

再度救急車で違う病院に運び込まれ、転院先では人工呼吸器をつけて諸々の投薬を頂き、再度小康状態となった。

帰宅途中、素人同然の自分が歯がゆく、また、一切の対症療法的な処置すら行っていない最初に緊急搬送された病院に対して不信感を覚えて色々なことを調べた。

髄膜炎 - Wikipedia
FORTH|お役立ち情報|感染症についての情報|髄膜炎菌性髄膜炎


後の祭りでしかないが、
納得いかない部分があれば検討違いであっても質問などして納得いくまでの説明を求めなければならないし、
最初にそういうことをするためには事前知識も無いといけないということを強く後悔した。

転院

HCUに入り、少し妻も楽になったように見えた。
病名は未だ確定診断は付かないが、バイタルデータは安定し、髄膜炎に対しては様々な可能性から必要な投薬を行うとの説明を受けた。


妻の両親と「これで安心だ」と少しほっとして皆で食事を行い、早めに帰宅して翌日病院へ行くつもりで就寝した。


明け方、電話で起こされた。
誰だよ・・と携帯を見ると「病院」。

お医者さんが
「容体が急変したのですぐに来てほしい」
とか言ってくる。

ようだいがきゅうへん?
容態が急変!?
は!?だって昨日あんなに落ち着いとったやんか!

まだ全然起きていない体を無理やり動かして着替え、
不安なのと寝起きなのと後何かわからないもののせいか、吐きそうな泣きそうな、そんな気持ちで走って(タクシーを捕まえて)病院へ向かった。


「明け方けいれんを起こし、自発的な呼吸が難しい状態になった。瞳孔も開いており、光への反射が弱い。
けいれんを抑える薬を投与し、人工呼吸器の設定を上げて呼吸をサポートする処置を実施している」と説明を受けた。

とにかく次から次へと悪い展開になることに僕は不安を隠せなかった。
ただ、対症療法とは言え迅速な処置と、適時説明を行ってくれる点については前の病院よりはるかに好印象であり、
素人が口を出せるものではないと思い、治療についていくつか質問を行い、ひと段落着くと・・

「一旦は症状が落ち着いたが、徐々に悪くなってきているように思えるため、今度はICU(集中治療室)へ入る」と。


ICUへ入る時に妻とエレベータに乗り合わせ、およそ12時間ぶりに顔を見ることができた。

見ることができたが・・

力なく空いた眼の焦点は全く合っておらず、
口もチューブに繋がれ開けっ放し
けれども目じりには涙の跡があった。


苦しい思いをさせて本当にすまないという気持ち
もう何も分からない。悪いことが起きないでほしいという思い
とにかく命だけは助かってほしいという想い
目を覚まして、時間がかかっても、一緒に家に帰ることができればそれだけでいいという願い

ICUに入っていく妻を見ながらそんなことを考えた。

3時間程待合室で待機していたところ、医者から呼ばれた。
その後別室で伝えられたことは、

「容態が急変し、心肺機能が一時停止した」

だった。


最初に入院する前の日、夜中に目を覚ました時に妻が手を握っていたことを何故か思い出した。

危篤状態

心肺停止後の経緯を聞くと、そこからの医者の対処は迅速だった。
心肺機能が一時停止したものの、すぐに昇圧剤を投与、心臓マッサージを行い蘇生に成功。
一時停止したことに危機感を覚え、人工心肺装置を準備していたところ徐々に血圧が下がり始めたために装置の使用を決定。

なんとか最悪の自体は一旦回避できた。
その後、続けて医師から説明があった。
「まだ確定診断ができていない」
「診断結果が出るまでには時間がかかるために対症療法を取るしかない」
「ご家族もあまりにも病状の進行が速いことについていけていないかもしれないが、可能な限り説明や処置を行う」
「人工心肺にはリスクがあり、我が国においては現状これ以上の対処は難しいことをご理解頂きたい」
・・と。

事実を淡々と説明して頂いたが、どうしてもICUに入る前に妻の顔が頭から離れず、いろんな思い出が何故か走馬灯のように駆け巡ってくる。
涙があふれそうになるが、行った対症療法について1つずつ、どういったことに対する処置なのかを質問し終えた後に、現在の人工心肺が繋がった妻の様子を見せてもらうことにした。

そこには大量のチューブに繋がり、力なく目を開ける妻の姿があった。

過去、ICU胃がんで亡くなった祖父のイメージが離れない。

その日は一旦万が一の事態に備え、病院で夜通し待機することを決めた。
妻の両親も、あまり悪いことを口にしないように意識していたと思う。
妻の両親は地方から駆けつけてくれており、これからの看病の体制をどうするか、宿泊先はどうするか、
昨日同じようなことを話し合ったはずなのに、その日は少し話し方のトーンが落ちていると思ったが、僕はそれを口にはできなかった。

「待つ」ということがこんなに不安だったなんて。

幸いにも、夜が明けた後妻の容態は安定しており、その後1日現在に至るまでは何も起きていない。
妻の両親とは、自分たちの体調を崩さないように気を付け、交代で様子を見られるようにしようと話し合った。

その後

この記事を書いている今現在も妻の意識は戻っていない。
バイタルデータは安定してきているが、助かるかどうかも分からない。
眠ったら「容態が・・」という電話が来るのではないかと不安で仕方がない。


ただ、そうしている瞬間も妻は戦っている。
何の病気かもわからず、大量のチューブに繋がれて意識がもう数日なく、呼吸は機械に頼り、血液すら機械で循環させている状態で、
どれが何に効く薬なのか素人目には分からない、そんな状態ではあるけど、戦っている。

妻の両親も後遺症などを気にしており「重荷になるなら・・」という話もあったが、そんなことは今はどうだっていいと一蹴した。

ただ、それでも僕は助かると思い、信じて待つことしかできない。
妻が使っていた家具、着替え、食器が置かれた自宅に戻ると気が狂いそうになるが、それを整理整頓して待つことしかできない。



今はもう一度妻と一緒に家に帰って、普通に暮らしたい。
1週間前、妻がベッドで熱を出しながらもアニメを見ている時には、きっとそんなことは当たり前だと思っていたのに。


ただそれだけのものを守り続けていくことの難しさを、今更に知った。

それでも今もできることをやって待ち続けたいと思う。